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江戸後期、明治・大正期の文献・資料から興味あるものを電子化する試み
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『况翁閑話』(15)-豪傑試験法稲荷大明神の託宣

 一日数人集りて豪傑の談に至り遂に豪傑を試験する方法に及ぶ、衆皆な考案に思を凝す折柄、一老翁傍らより曰く、豪傑を私見するには古来唯一の一方法あり、夫は豪傑と思う人を三人でも五人でも早朝に集め、一度に放ち出して夕刻日没迄に出来る丈けの金を才覚して持帰らしめ、其持帰りたる金の最も多き者が其内の第一の豪傑と定めて決して違うことなかるべし、英雄豪傑だのというたとて、金の才覚程六け敷ものはなし、よしや大馬鹿者でも金さえ出せば英雄も豪傑も学者も自由自在に使わるること実に意の如きものなり、是は余が少時に耳にしたる話なれども、明治開明の今日に至りても、此説は決して古びず陳せず、益々其然ることを歴々証明する所なり、豪傑という字義を案ずるに、淮南子泰族訓に曰、智十人に過るを豪と謂う、智百人に過るを傑と謂うちありて何に致せ智恵が千百人に勝れるどころではなく、何十万人という大多数の人に選挙されたる代議士などという人は、実に豪傑の其上の又其上のエラ者なるは勿論なれども安きは五十円、上等にて二百円位にて買収さるる者もあるなどとの風聞あり、是は全く無根の悪口にて、所謂斉東野人の語るべきは勿論なれども、金というものの功力あることは疑うべからず、前に述るごとく金の才覚に長じたる人を即ち豪傑と定むるは古今上下に通じての確論なり、云々と一処此説を聞きて為に語なかりし、因て思うに、余輩丸で此翁の説に左袒(サタン、味方する)する者にはあらざれども、世の中には金策程六ケ敷ものはあらざるべし、余甞(カッ)て聞きしことあり、某所に霊験著しき稲荷大明神の祠ありて、吉凶禍福祷(イノリ)に応ずること実に著し、一夜書生某祠に詣で終夜参籠して学資金三十円を授け給わんことを立願す、夜半思わずまどろみ眠りたるに、夢に稲荷大明神顕れて霊声厳かに告給うて曰く、汝の願を達せんとすれども不能なりと、某生其故を伺い奉りしに、大明神更に曰く、我輩神通自在なりといえども、人の一心に衛る所はいかがとも致し難し、故に人あり美人を探し出して之を授く、珍宝も亦同じことなり、然るに金銭ばかりは唯の一人にても油断して放置(ほうりぱなし)に致しあるものなし、啻(タダ)に並々の人間而巳(ノミ)ならず活佛と称せらるる漢洋の哲学者は勿論上下一般金の為にはどんな事でもするなり、我輩も亦た常に狐に鍵を持たせて蔵を衛らせ、一文も出さしめざることを示す、如此有様なるゆえ、金銭ばかりは願を遂げしめ難しと宣玉(のたま)いたりと、前の老翁の説、又此稲荷大明神の託宣とも、趣味ある言というべし。

 評曰、金銭の人心を蕩し又人心を縛す近年に至り殊に甚し、此編を読て心竊(ヒソカ)に慚(ハジ)ざるもの世間又幾人かあるや。

(注)淮南子: 
(注)泰族訓: (淮南子泰族訓巻第二十) 以下、原文(冨山房、漢文大系)
古者法設而不犯、刑錯而不用、非可刑而不刑也。百工維時、庶績咸熙、禮義脩、而任賢徳也。故挙天下之高、以為三公、一國之高、以為九郷、一縣之高、以為二十七大夫、一郷之高、以為八十一元士。故智過萬人者謂之英、千人者謂之俊、百人者謂之豪、十人者謂之傑。明於天道、察於地理、通於人情、大足以容衆、徳足以懐遠、信足以一異、知足以知変者、人之英也。徳足以教化、行足以隠義、仁足以得衆、明足以照下者、人之俊也。行足以為儀表、知足以決嫌疑、廉可以分財、信可使守約、作事可法、出言可道者、人之豪也。守職而不廃、処義而不比、見難不苟免、見利不苟得者、人之傑也。英俊豪傑、各以小大之材、処其位、得其宜、由本流末、以重制軽、上唱而民和、上動而下随、四海之内、一心同帰、背貪鄙、而向義理其於化民也。若風之揺草木、無之而不靡。今使愚教知、使不肖臨賢、雖厳刑罰、民弗従者、小不能制大、弱不能使強也。
 以下、読下し文(冨山房『漢文大系』、暫らく漢文を読んでいなかったので読下し文に誤りがあるかもしれない。 御容赦。)
 古の者は法設けて犯さず、刑おきて用いず、刑すべきして刑せざるにあらざる也。百工これ時あり、庶績みなひろまり、礼儀修まりて、賢徳に任ずれば也。故に天下の高きを挙げて、以て三公と為し、一国の高きは、以て九郷を為し、一県の高きは、以て二十七大夫を為し、一郷の高きは、以て八十一元士を為す。故に智万人に過ぐる者これを英と謂い、千人の者これを俊と謂い、百人の者これを豪と謂い、十人の者これを傑と謂う。天道を明らかにし、地理を察し、人情に通じ、大以て衆をおさめるに足り、徳以て遠きをなつくる足り、信以て異を一にするに足り、知以て下を照すに足る者は、人の俊也。行以て儀表為するに足り、知以て嫌疑を決するに足り、廉以て財を分たしむべき、信約を守らしむべく、作事法とすべき、出言道とすべき者は、人の豪なり。職を守りて廃せず、義によりて比せず、難を見ていやしくも免れず、利を見ていやしくも得ざる者は、人の傑なり。英俊豪傑、各々小大の材を以て、その位により、その宜を得れば、本により末に流し、重きを以て軽を制し、上唱えて民和し、上動きて下したがい、四海の内、心を一にし帰を同じくし、貧鄙に背きて、義理に向い、その民を化するに於けるや、風の草木を揺るがすが、ゆくとして靡かざることなけん。今愚をして知を教えしめ、不肖をして賢に臨ましめば、刑罰厳にすといえども、民従わざる者は、小は大を制することあたわず、弱は強を使うことあたわざらばなり。
 以下、簡体文(丁度、ネット上にあったので蛇足ながら)
(古者设法而不犯,刑错而不用,非可刑而不刑也;百工维时,庶绩咸熙,礼义修而任贤德也。故举天下之高,以为三公;一国之高,以为九卿;一县之高, 以为二十七大夫;一乡之高,以为八十一元士。故智过万人者谓之英,千人者谓 之俊,百人者谓之豪,十人者谓之杰。明于天道,察于地理,通于人情。大足以 容众,德足以怀远,信足以一异,知足以知变者,人之英也;德足以教化,行足 以隐义,仁足以得众,明足以照下者,人之俊也;行足以为仪表,知足以决嫌疑, 廉足以分财,信可使守约,作事可法,出言可道者,人之豪也;守职而不废,处 义而不比,见难不苟免,见利不苟得者,人之杰也。英、俊、豪、杰,各以小大 之材,处其位,得其宜,由本流末,以重制轻,上唱而民和,上动而下随,四海 之内,一心同,背贪鄙而向义理,其于化民也,若风之摇草木,无之而不靡。 今使愚教知,使不肖临贤,虽严刑罚,民弗从也。小不能制大,弱不能使强也。)
(注)斉東野人: 孟子・万章章句上の「斉東野人之語也」から。 採るに足りない田舎者のいうことば。 斉は東海に沿った鄙俗の国、その東はさらに僻遠の地で、そこに住む野人の語とは道理の通らぬ言葉の意。 (諸橋徹次著『中国古典名言事典』 )

 いつの世も変わらぬということか。 某稲荷社、選挙時になると候補者の稲荷詣でが盛んになるとか。 何でも、祈祷料金一封が百五十万円。 稲荷大明神も、呆れて果てているだろう。 山本周五郎の小説に「三回り稲荷」の話しがあるが、出てくるのは、貧乏神に疫病神、最後に取り付くのが死神様だ。 そえりゃあ、お稲荷様でも、嫌味の一つも言いたいだろう。 経世済民の経済だったが、今じゃあ、計財ばかりが罷り通る。 何とも窮屈な世の中だ。 斉東の更に東の蓬莱島、道理の通らぬ野人の言葉、もしかしたら身近な国か。 しかし考えてみると、『詩経』ではないが、野人の日常にこそ、自然の摂理があるのでは、とまあ、そんな事を愚考する。

 

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