江戸後期、明治・大正期の文献・資料から興味あるものを電子化する試み
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 『况翁閑話』(14)-温厚と軽薄 青年長尾秋水翁(長尾氏は元臥虎山樵と号し、彼の一時人口に喧伝せられたる松前城下作と題し「海城寒柝月生潮、波際連檣影動揺、従是二千三百里、北辰直下建銅標」という詩を作りし人なり)に逢うたる時、話次、余波象山先生の詩二三首を録して示したるに、翁一見曰く、皆詩にあらず、詩の真味は篤温厚柔にあり、此詩の如きは圭角露出一も詩の体を得ずとて席に抛(ナゲウ)ちたり、於此予と一塲の大議論を生じたることありしが、今より思えば翁の説蓋(ケダ)し是ならん、其後杜詩を読み、つくづく感じたるは、杜詩に「避人焚諫章」という句あり、なる程君を諌める文を作る原稿は、決して止め置きて後に遺すべきものにあらず、況や他人の目に触るべきものにあらず、之を焚き去るにも尚人を避けて、秘密にすべき也、然るに上表諫文を文集に掲ぐる等は、実に杜氏に慚(ハ)ずべきなり、然るに近世は世人の不行を議するに、直ちに其人には一言もせず一書をも与えずして、しかも誰に与うる書と題し、数千百言を連ねて新聞に揚ぐるもの其例一二に止まらず、其意果たして何(イズ)くにあるか、澆季(ギョウキ)の世風とも称すべきか歎ずべきなり。 評曰、先生一見豪放なるが如きも、其実は緻密周到、談話に文章に苟(イヤシク)も他の短を露言にせしことなし、宜なるかな常に此心ある。 (注)長尾秋水: 1779(安永8年)-1863、江戸時代後期の漢詩人。 安永8年生まれ。越後国村上藩士の子。 水戸でまなぶ。 文政2年蝦夷地(えぞち)(北海道)松前にわたり、以後諸国をめぐって北方防備の急を説く。 晩年は村上で藩士の子弟に漢詩をおしえた。文久3年3月18日死去。 85歳。名は景翰(けいかん)。 字(あざな)は文卿。通称は直次郎、藤十郎。 別号に臥牛山樵、青樵老人など。 (講談社『日本人名大辞典』
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梶谷恭巨
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男性
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1947/05/18
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