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江戸後期、明治・大正期の文献・資料から興味あるものを電子化する試み
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『况翁閑話』(9)-東西風俗の別

 西洋諸国と我東洋とは、風俗習慣異なるもの多し、近く例すれば、東邦にては食するに語らずとて、食事の時は無言をよしとす、西洋にては、食卓に向おては絶間なく、隣椅子又は向椅子の人と談話するを礼とし、黙して食えば実に無愛想の人となす、又室内の飾の如きは、あらゆる飾品を陳列して並べ立るを常とす、我邦にては、床間にも、掛物、香炉、花瓶位とし、他は何も飾らず、但し今日の置物幅物は、明日替え、明後日は又替え、三日つづけて来る人は、三日毎に別の品を見せ、別の品を飾付け、三日ながら眼を新にするをよしとす、名は忘れたが、英国の婦人某の日本紀行にある、日本に行き、日光に遊びし時、上等の日本旅店に投宿し、上等の室を好みて入りたるに、室内に一幅のかけ物と、其前に一輪の椿花を生けた花瓶而巳(ノミ)にて、何一つ無く、誠に幽寥を窮めて、恰(アタカ)もあき家に宿りし心地がした、然るに其隣室も之に属しありて、其室にて衣かえ化粧をなし、此幽寥の室は、客を誘引(サソ)うか、又は独座日を消する室なるが、一日二日と立ちて見ると、此幽寥の妙味を覚え来り、外出して帰り来ると、折々床の間の置物がかわり、花生の花や花瓶もかわり、遂に得もいわれぬ妙意が生じ、日光を出でて横浜の欧風ホテルに着せし後、ホテルの上等室なるいろいろの粧飾がいかにもうるさく覚え、却て日光旅宿の幽寥の室を思い出した、今にも其味を記憶して居ると、此所が東西各々の特色だ、併し今日の我邦は昔日と違うから、日本の風を失ずして彼の善き風を取るが必要だ、西洋食卓で無言で居るは困るし、日本坐敷へ靴で上り込れても困る、此所が肝腎の考え所だ。 政事にも、軍事にも、将(ハタ、マ)た商工業にも、此コツ合が、肝腎の工風所だよ。

評曰、先生元来韵致高し、東西の風俗を見るに他の凡眼と異り、結果時勢の変に応ずる真致を説得て切なり矣。

(注)英国の婦人某の日本紀行: 英国の婦人某とは、イザベラ・L・バード(Isabella Lucy Bird)のこと。 1831年10月15日、北ヨークシャー州ヨークの北西21kmの小さな町・バローブリッジ(Boroughbridge)に、英国国教会の聖職者の女として生れ、1904年10月7日、スコットランドのエディンバラで没した。 子供頃は病弱だったようだが、心因性のものであったようだ。 原因は家庭環境にあったのか、彼女の本当の望は旅行あるいは道の世界への憧れであった。 1854年、父から100ポンドを貰い、それを使い果たすまでという約束でアメリカの親戚を尋ねた。 帰国後、またしても旅行に対する憧れがストレスとなり、悶々とする生活を送っていたが、1856年、「The Englishwoman in America」を出版した。 以後、カナダやスコットランドなど国内旅行をしていたが、1868年、母親の死後、姉妹であるヘンリエッタ(Henrietta、愛称Henny)と暮すが、その生活スタイルに堪えられず、1872年、先ずオーストラリア、ハワイへ旅行、ハワイではマウラロアに登り、女王エンマを訪問した。 その後、米国に渡り、コロラド州へ、1873年にはロッキー山脈800マイルの縦断旅行を行った。 この時に姉妹ヘンリエッタへの手紙が「Leisure Hour」という雑誌に掲載され、後に「A Lafy's Life in the Rocky Mountines」として出版された。 一旦、エディンバラに帰り、医師・ジョン・ビショップに求婚されるが、旅行への思い忘れられず、日本、中国、ベトナム、シンガポール、マレーシアなど旅する。 1880年、ヘンリエッタがチフスで死亡、最愛の姉妹を失った彼女はビショップと結婚したが、1886年、夫ビショップが死去、健康状態が悪化したが、本来の旅行愛好家としての本能か、還暦近くになって、医学を学び、健康回復のため宣教師としてインドに赴く。 1889年、インド、その後、チベット、ペルシャ、クルディスタン、トルコを訪問、翌年には、英国の軍隊と共に、ロンドのヘンリー・ウエルカム社と提携して調査の傍ら、リボルバーと医薬品を携帯し、バクダッドからテヘランを旅行、1892年には、女性として初めて王立地理協会のメンバーとなり、1897年には、最大の旅となる中国の揚子江、漢江沿いに旅行、更に韓国へも足を伸ばした。 最晩年には、更にモロッコを旅行し、ベルベル人のスルタンから贈られた黒毛のスタリオン(雄馬)に梯子を掛けて乗るなど、人々を驚かせたが、73歳の誕生日を間近にした1904年10月7日、エディンバラで没した。
 来日したのは、明治11年(1878)、47歳、最初の極東旅行の時だった。 况翁が読んだのは、1880年に出版された、その時の紀行文『Unbeaten Tracks in Japan (日本奥地紀行)』ではないかと思われる。
 尚、彼女の主な著作は次の通り:
The Englishwoman in America (1856)
Pen and Pencil Sketches Among The Outer Hebrides (published in The Leisure Hour) (1866)
The Hawaiian Archipelago (1875)  『イザベラ・バードのハワイ紀行』
The Two Atlantics (published in The Leisure Hour) (1876)
Australia Felix: Impressions of Victoria and Melbourne (published in The Leisure Hour) (1877)
A Lady's Life in the Rocky Mountains (1879)
Unbeaten Tracks in Japan (1880)  『日本奥地紀行』、『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』
Sketches In The Malay Peninsula (published in The Leisure Hour) (1883)
The Golden Chersonese and the way Thither (1883)
A Pilgrimage To Sinai (published in The Leisure Hour) (1886)
Journeys in Persia and Kurdistan (1891)
Among the Tibetans (1894)
Korea and her Neighbours (1898)  『朝鮮奥地紀行』
The Yangtze Valley and Beyond (1899)  『中国奥地紀行』
Chinese Pictures (1900)
Notes on Morocco (published in the Monthly Review) (1901)

 この回については特にコメントも無いのだが、寧ろ、况翁・石黒忠悳が、バードの『Unbeaten Tracks in Japn(日本奥地紀行)』を読んでいた、あるいは知っていた事に興味が湧く。 ただ、明治11年12月18日、19日の読売新聞にバードの事が紹介されているので、(但し、誤報が多いとか)、その事が記憶にあったのかもしれない。 また、『Unbeaten Tracks in Japn(日本奥地紀行)』の出版に当っては、ダーウィンの勧めがあったそうだ。 これ等のことについては、弘前大学の『弘前大学大学院地域社会研究科年報(2004年)』に掲載された、齋藤捷一・高畑美代子両氏の論文「記録・文献で辿る(読む)イザベラ・バードの『日本奥地紀行』-矢立峠、碇ヶ関と碇ヶ関の人々-」及び研究ノート「イザベラ・バードの描いた碇ヶ関と子どもと遊び」に詳しい。

 序でに、蝦夷地なども旅行していることから、日本初の人類学者(解剖学者)である小金井良精との関係の有無を調べていたが、それらしき記述は見つからなかった。

 しかし、このイザベラ・バードという人物には驚いてしまう。 何歳の頃は不明だが、肖像画を見ると、意志の強そうな中々の美人である。 そのバイタリティを肖像からも窺えて、とても心因性とは言え病弱とは思えない。 足跡を見れば、インディー・ジョーンズの女性版が出来そうである。 映画になったことは無いようだが、1982年、劇作家キャリル・チャーチルが、『The Top Girls』という演劇で、彼女のキャラクタを採用しているようだ。 この方面には疎いので、何ともコメントの仕様がないが、尚更に興味が湧くのも事実である。

 尚、私事だが、来週から入院する。 インターネットが使えればよいのだが、さてどうなる事やら。 よって、暫らく休刊する事になりそうである。 御容赦。

Best regards
梶谷恭巨

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