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江戸後期、明治・大正期の文献・資料から興味あるものを電子化する試み
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『况翁閑話』(5)-徒歩時としては馬車よりも早し

 昨夜、紅葉館の同県人集会より徒歩して帰り、西の久保通りにかゝると、後から馬丁の懸声をかけるから、路傍に避けると、何人だか知らぬが、二匹引の馬車にて勢よく駆来りて追のけ、遥か先きへ走り行いた、すると暫くして、今度は向から勢よく二疋引の馬車が来た、見ると暫く前(サ)き向うへ行た馬車だ、是は先へ行て用を済して帰りて来たのか、夫にはあまり早いとよくよく前途を見れば、遥に先き赤きランプがつるしありて、馬車留があるのだ、此方は馬車に別れ、ポツポツ徒歩して虎の門の通りへ出ると、又二疋引の馬車が脇から勢よく掛声をして来た、又々路傍によりて傍観すると、又先刻の馬車だ、是は馬車が向き逢うて引返して、更に二疋引の馬車の通る脇道を通りて、此に来りし故に、余が徒歩にてひろい歩行にに来りしよりも、後れて此に来りたのだが、さて世の中には如此事が随分多い、馬車なれば必らず早いとも極められぬ、此道筋は徒歩でなければ通られぬ、此道筋は馬車で差支なく通れると云う事を見定めて後ち、或は徒歩とし、或は馬車とする事が肝要だ、然るに往々道途の撰定を忽(ユルガ)せにして、つッかけ二疋馬車にて出掛け、車留めに逢うて引返すものはまだよいが、車を返して回らすことも出来ぬ所まで進みて、終には車を馬よりときて、ようように返すに至る輩あり、心すべきなり。
 評曰、全篇老子より転化し来りて卑近の実例を示さる善論と謂うべし。

(注1)紅葉館: 明治14年(1881)、芝の紅葉山に開業した会員制高級和風サロン。 開業当初、会員は限定300人で、会費10円を出資。 明治25年以降、一般にも開放されたが、一般には敷居に高い高級料亭であった。 ここで「同県人(新潟県人)の集まりがあったとあるが、恐らく、博文館の大橋佐平も出席していたのではあるまいか。 因みに、尾崎紅葉の『金色夜叉』は、博文館の二代目・大橋新太郎と尾崎紅葉の友人・巌田小波が、紅葉館の女中「お須磨」を争った事に由来するようである。 また、尾崎紅葉の「紅葉」は、この紅葉館からとったものとか。 意外なところに意外な関係が在るものである。
(注2)馬丁: 「ベットウ」と読むようである。 篠田鉱造著の『明治百話(上)』の「明治名物御所の馬丁」に、「べっとう」というルビがふられている。 また、当時の「馬丁」は、「ヤーハアイ」と声を掛け、通行人、荷車や荷馬車、人力車などの交通整理をしていた。 昔の仲間(チュウゲン)のようなもので、粋を競ったり、あるいは、虎の威を借る狐の如き観があったそうだ。 この他に、同書下巻に、「唐人馬丁の元祖」という節があり、明治維新前後の「馬丁」の様子が詳しく書かれている。
(注3)二匹(疋)引の馬車: 映画やTVドラマなどで、明治時代の馬車事情の一端を知ることが出来るが、意外に、日本の馬車に関する文献が少ない。 先に揚げた『明治百話』で、ある程度のことを知ることが出来るが、さて具体的にとなると、不明な点が多い。 ご存知の方があれば、ご教授願いたい。
(注4)全篇老子より転化: これを寓話として考え、『老子』にその類型がないかと捜してみた。 それこそ、『老子』全篇に通じるところもあるのだが、もしかすると、これではと思うのが、『老子』第五十三章である。 それを書き下し文と口語訳で引用する。 以下、小川環樹・本田済監修『鑑賞・中国の古典④』の野村茂夫著『老子・荘子』による。
 「我をして介然と知(ツカサド)ること有らしめば、大道を行うに、唯だ施(シ)のみ是れ畏(オソ)る。 大道は甚だ夷(タイラ)なれど、而(シカ)も民は徑(ケイ、こみち)を好む。 朝(チョウ)は甚だ除(オサ)められたるに、田は甚だ蕪(ア)れ、倉あ甚だ虚しきに、文綵(ブンサイ、サイはあやぎぬ)を服し、利剣を帯び、飲食に厭(ア)き、財貨余り有り。 是れを盗の夸(オゴ)りと謂う。 道に非(アラ)ざるかな。」
 以下、口語訳。
 「もし私に大いに政治をさせたならば、大道に従った(無為の)政治を行うであろうが、その際にはただ(無為に反する小手先の)施策をすることだけを畏れるのだ。 (無為の)大道ははなはだ平坦で(その政治は容易で)あるが、人々はとかく横道にそれたがる。 (今の政治を見るに)朝廷(の建物)ははなはだ立派であるが、田畑は荒れほうだい、穀物倉は空っぽ、(それなのに君主は)美々しい服飾を身にまとい、鋭利な剣を帯び、飲み食いは腹一杯、財産はあり余るほど。 これを(人民から)盗んでぜいたくをするというのだ。 道に外れているよ。」

 今回は、一見、当時の風物詩と取れるのだが、そこは况翁、流石に奥が深い。 「評」がなければ、『老子』が背景にあることを知り得なかっただろう。 こうした文章を読んで、その背景まで思い浮かべる事が出来るのは、読者に共通の素養があるということに他ならない。 幼年期に於ける「漢学」が、その素養の基盤をなしている。 「漢文・漢学」がどうこうという積りはないが、共通の知識的基盤が、漫画だというはどうだろう。 何だか寂しさを感じる。 出版業が低迷する、否、それどころか衰退している現状の要因には、初等教育に於ける知識的共通基盤の欠落があるのではないだろうか。 誰だったか失念したが、幼年期・少年期は記憶の時代であり、その後に、記憶した知識を道具に、自己の思考を展開していくのが、教育の本筋だと書いた人がいた。

 閉じこもって唯思考するということはありえない。 人とのコミュニケーションが在ってこそ、思考が成り立つのであり、その両者を分離する事は出来ないものだ。 そうすると、共通の知識的基盤が必要である。 それが無ければ、会話自体が成立しない。 意思の疎通などある訳がないのである。

 親子の会話が無いと云う。 それもその筈、科学的知識ならいざ知らず、時代の変遷があるとはいえ、親が習った事と子供たちが習う事が、これ程解離していたのでは、親子の会話が成立しないのも当然ではないか。 否、寧ろ親の方が子供に合わせるのが現状であるらしい。 NHKのBSでは、今週、一連のガンダム特集を放送する。 一世代上の私自身、ガンダムを知らない訳ではない。 最初に放送された時、面白いと感じたのも事実である。 しかし、ガンダムが親と子との共通の話題になるとは予想さえしなかった。 これも今の世相かと諦め半分。 ただ、反面、太宰治がブームだと云う。 さて、このご時勢、どう観ればよいのだろう。

 余談だが、韓国TVドラマブームが依然として根強い。 衛星放送では、韓流ドラマのオンパレードである。 ただ、時代物、しかも大河ドラマが増えているように思える。 時代は、高句麗・新羅・百済の三国時代から中世統一王朝まで。 こうしたブームが背景にあるのか、漢字表記が見直されているそうだ。 詳しいことは知らないが、ハングルが発明された以降も、日本同様にハングル漢字入り混じり文が近年まで続いていたそうだ。 正史としての歴史書となると、殆んどが漢文である。 歴史が民族主義の根底にあるとすれば、その歴史書が読めないでは済まされない。 TV大河ドラマが先で、漢字・漢文の見直しが後なのか、あるいはその逆なのかは知らないが、これも矢張り韓国のご時勢なのだろうか。

 出典を探すのに、『老子』をザット読み直してみた。 記憶力が衰えたのか、何度も読んでいるはずなのに、文章が思い出せない。 数年前から、悪筆を直そうと、写経ならぬ写本も時として行い、記憶を維持しようとするのだが、蟷螂の斧。 まあ、それでも、先の引用を直に見つけることが出来たのは幸いだ。 それは措くとして、読み直してみると、今の世相に当てはまるところが多いのに、改めて驚いた。 人のする事、当に二千年も一昔どころか、事物を置き換えれば、余り変ったところがないのである。

 序でに、少々視点を変えて、共通基盤としての科学面に触れると、どうも数式が浮かんで、とっつき難い。 ところが、最近、『A World Without Time - The Forgotten Legacy of Gödel and Einstein』(Palle Yourgrau, 2005)を読むと、「ウイーン学団(Viener Circle)」を介しての、ゲーデル、アインシュタイン、ウィットゲンシュタイン、マッハなどの交流関係が興味深く紹介されている。 師弟・友人・夫婦関係(好悪の関係)、性癖、嗜好など、メンバーの人間的側面が、学術的関係と共に紹介されているのである。 こうなると、全く見方が変ってくる。 それに、何と言っても、彼らの共通基盤を知ることが出来るのである。 それが単に数学とか物理学とかだけではないところが面白い(勿論、それが主なのだが)。 詳細は省くが、興味ある人にはお勧めの一冊である。

Best regards
梶谷恭巨

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