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江戸後期、明治・大正期の文献・資料から興味あるものを電子化する試み
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「二 况翁閑話と題するわけ」

 福沢諭吉君は、曰(く)富、曰名、曰子、皆世の所謂幸福を具備せらる。 故に自ら福翁と号さるゝなるべし。 加藤弘之君も、曰富、(富は福沢君程には参らぬかも知らぬが)、曰名、曰子、其外に曰爵位、是も世の所謂幸福は具備せらるゝも、却て自ら貧叟と号せらるゝは、何か見る所ありてか、将(マサ)に謙遜に出でたるか、併し前にも述べたる如く、福も貧も皆心の置き所より観し定むるもの故に、福必ずしも福ならず、貧必ずしも貧ならず、余は常に以為(おもえら)く、我が身は福でもなし、亦貧でもなし、福と貧の中ぶらりんなり。 如何となれば今朝も墓参として浅草に赴かんとて、足駄をはき、ステッキをつき、小石川砲兵工廠の前を通行するに、泥深くして履歯を没し、頗る歩行に苦しむ。 向うより余と同年齢位斑白にて人品よき車夫、いかにも見苦敷人力車に老婆と小娘とを載せ、汗をたらして此悪路を曳来れり、唯歩行くにすら道悪しくて困難なるに、二人を載せし車を曳くには、さぞ難儀ならん。 人品より察すれば立派の人の成りのはてにて、貧しきゆえ止を得ず車夫となりしなるべし、彼に比較すれば、此身は恩給の御庇で一家の餓寒を免れ、倹約さえすれば安々と墓参も出来る。 実に幸福者なりと思えり。 夫より本郷に出で、湯島切通しにかゝり、左に岩崎家の新築を望み、思うよう、余近く職を辞し、専ら家居読書せんとするに、書斎意の如くならず、新たに書斎を築かんとする積らすれば、二千余金を要す。 此際二千余金はとても支出し難くて止みぬ。 若し岩崎家の門番所建築費だけならば、如意の書斎出来べきにと思えば、つくづく身は貧たる如き観をなせり。 抑僅に一時間に足らぬ内に、心に自ら福と感じ、又貧と感ずる。 夫れ此の如し、故に余は福でもなく貧でもなし。 そこで前に述べたる如く一定の所に心を安んじ、事に応じ感を発する。 総て、ましての翁の流儀にするこそ、又話の数も二ツか三ツにてやめるか、十二三にして尽るか、或は二百三百になるかも知れず、きっちり百と限ること能わず。 因て况翁閑話とでも題号したらよかろう。

 評曰先生の冷眼を以て見れば、福翁必ずしも福ならず、貧叟必ずしも貧ならず、貧福を以て自ら居るもの、蓋し未だ一定見地の外なることなからんや。 此編初段、貧福を論破し、次に近く喩を引き、又末段の数を百と限らざる事を述ぶ。 亦是福貧両家と見を異にする所なり。 車夫の貧を見て之を侮らずして自ら鑑み、岩崎の富を見て羨ずして自ら堅守す。 富も移す能わざるもの。 翁に於て之を見るや。

 先回書かなかったので、石黒忠悳と大橋佐平、及び図書館について書き加える。 前掲した坪谷善四郎著『大橋佐平翁伝』に設立の経緯が詳しく書かれているが、况翁石黒忠悳自身も、回顧録『懐旧九十年』の中で、「大橋佐平氏と図書館」と題し、そのことに触れている。 最初に、大橋佐平と同郷である事、博文館の設立までの苦心談、一刻者で喧嘩好き、使用人にも厳しかったが夫人の影から取り成しが事業の大成を助けたという婦徳談、教科書には手を出さなかった為免れた教科書疑獄事件が略歴に続き、図書館設立の顛末が書かれている。
 それによると、明治34年1月、大橋佐平が石黒忠悳を訪ね、社会公益の為、図書館の設立を况翁に托したい旨語ったと云う。 以前から、公益事業をするよう勧めていたので、喜んで引き受けたと。 大橋佐平は、図書館設立の為の資金12万5千円を用意していたそうだ。 そこで、坪谷善四郎にふれ、「博文館の出版事業および図書館事業を最も忠実に不断な力致されたのは、青年時代より大橋紙を助けられた、これも同郷の坪谷善四郎氏です」と紹介している。 以下、『大橋佐平翁伝』にはない大橋図書館の設立趣意書が紹介されているので、少々長いのだが原文のまま引用する。

 「図書館の社会文運の進歩に欠くべからざるは、内外等しく認むるところなり。 予、明治二十年北越より出でて博文館を創設し、図書出版事業を経営することここに年あり。 顧みて特に標示すべき丕蹟(ヒセキ、大きな業績)なきを愧(ハ)ずというえども、しかも図書の価格を低廉し、一般社会に対して読書の範囲を拡張したるの一事は、いささか心に安んずるところなり。 当時、潜(ヒソカ)に思えらく、斯業(シギョウ)もし聖世の余沢に潤いて幸いに成功するを得ば、もしくは図書館を設立して謝悃(シャコン、感謝のまごころ)の微意を表せんと。 その後、明治二十六年、出版事業取調のため欧米を巡視するに当り、各国の都市に図書館の設備完(マッタ)きを見て初志ますます切なりき。 今やこの素志を貫徹の時機ようやく近づきたるを覚ゆ。 すなわち明治三十五年六月十五日は博文館創業第十五周年に相当するに際し、この計画を発表せんことを期待せり。 しかれども人世古希に近けば旦暮あらかじめ期しがたし。 加うる昨秋来病痾(ビョウア)の冒(オカ)すところとなり、老躯また往日の如くならず。 すなわち、ここに男爵石黒忠悳(タダノリ)君・文学博士上田萬年(カズトシ)君・文学博士田中稲城(イナギ)君の協賛を受け、財団法人の方法を以て一図書館を設立し、その資本金十万円、維持費二万五千円を寄附し、以て多年奉公の宿志を遂げんと欲す。 これを欧米の富豪が公共に尽すの事蹟に比すれば、資力の微、規模の小、深く慙愧に堪えざるところなるも、この一事なお文運の一助となるを得ば、独り予が望外の幸せのみにあらざるなり。」

 大橋図書館は、最初、麹町区上六番町の大橋家邸内に建築されたが、大正12年の関東大震災で消失、嗣子・大橋新太郎により、更に75万円の寄附を追加して、九段坂下牛ヶ淵に再建された。 麹町区上六番町は、現在の麹町三番町だが、九段坂下牛ヶ淵は、さてどの辺りになるのだろう。 その後、場所は何回か移転しているようだが、その経緯については、また、図書館の詳細については、三康図書館のホームページを参照されたい。

Best regards
梶谷恭巨


 

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