江戸後期、明治・大正期の文献・資料から興味あるものを電子化する試み
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 「二 况翁閑話と題するわけ」 福沢諭吉君は、曰(く)富、曰名、曰子、皆世の所謂幸福を具備せらる。 故に自ら福翁と号さるゝなるべし。 加藤弘之君も、曰富、(富は福沢君程には参らぬかも知らぬが)、曰名、曰子、其外に曰爵位、是も世の所謂幸福は具備せらるゝも、却て自ら貧叟と号せらるゝは、何か見る所ありてか、将(マサ)に謙遜に出でたるか、併し前にも述べたる如く、福も貧も皆心の置き所より観し定むるもの故に、福必ずしも福ならず、貧必ずしも貧ならず、余は常に以為(おもえら)く、我が身は福でもなし、亦貧でもなし、福と貧の中ぶらりんなり。 如何となれば今朝も墓参として浅草に赴かんとて、足駄をはき、ステッキをつき、小石川砲兵工廠の前を通行するに、泥深くして履歯を没し、頗る歩行に苦しむ。 向うより余と同年齢位斑白にて人品よき車夫、いかにも見苦敷人力車に老婆と小娘とを載せ、汗をたらして此悪路を曳来れり、唯歩行くにすら道悪しくて困難なるに、二人を載せし車を曳くには、さぞ難儀ならん。 人品より察すれば立派の人の成りのはてにて、貧しきゆえ止を得ず車夫となりしなるべし、彼に比較すれば、此身は恩給の御庇で一家の餓寒を免れ、倹約さえすれば安々と墓参も出来る。 実に幸福者なりと思えり。 夫より本郷に出で、湯島切通しにかゝり、左に岩崎家の新築を望み、思うよう、余近く職を辞し、専ら家居読書せんとするに、書斎意の如くならず、新たに書斎を築かんとする積らすれば、二千余金を要す。 此際二千余金はとても支出し難くて止みぬ。 若し岩崎家の門番所建築費だけならば、如意の書斎出来べきにと思えば、つくづく身は貧たる如き観をなせり。 抑僅に一時間に足らぬ内に、心に自ら福と感じ、又貧と感ずる。 夫れ此の如し、故に余は福でもなく貧でもなし。 そこで前に述べたる如く一定の所に心を安んじ、事に応じ感を発する。 総て、ましての翁の流儀にするこそ、又話の数も二ツか三ツにてやめるか、十二三にして尽るか、或は二百三百になるかも知れず、きっちり百と限ること能わず。 因て况翁閑話とでも題号したらよかろう。 評曰先生の冷眼を以て見れば、福翁必ずしも福ならず、貧叟必ずしも貧ならず、貧福を以て自ら居るもの、蓋し未だ一定見地の外なることなからんや。 此編初段、貧福を論破し、次に近く喩を引き、又末段の数を百と限らざる事を述ぶ。 亦是福貧両家と見を異にする所なり。 車夫の貧を見て之を侮らずして自ら鑑み、岩崎の富を見て羨ずして自ら堅守す。 富も移す能わざるもの。 翁に於て之を見るや。 PR |
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