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江戸後期、明治・大正期の文献・資料から興味あるものを電子化する試み
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 今回は、『柏崎通信』以前からから何度か紹介した順天堂・佐藤尚中あるいは松本良順の門人であり、明治陸軍軍医総監として、また日本赤十字社の第二代社長として、日本の医学に重きを成した「石黒忠悳」の著述を紹介する。

『况翁閑話』、况斎・石黒忠悳、明治34年11月12日刊、博文館
(注)『况翁閑話』は、坪谷善四郎が、博文館発刊の雑誌『太陽』に、明治31年から同32年に石黒忠悳との談話として掲載したもので、本文中の評(「評曰」以降)は、坪谷善四郎自身の評である。
(注)読み易くする為、句読点を追加、また旧仮名遣いは現在仮名遣いに替えたが、送り仮名については原文のまま、文中ルビがないので、カッコ内に読み難い字句の読みを加えた。 また、文中下線の部分の内、「グラットストーン」および「ビスマルク」は、本文中でも下線があるが、それ以外は、「○」などが符号で強調された字句だが、便宜上下線を加えた。 また文中の(赤字)は、便宜上つけた注釈、その外は原文通りである。

「緒言」、坪谷善四郎、省略
(注)坪谷善四郎は、元治元年(1864)2月26日、新潟県加茂市に生まれ、在郷中から大橋佐平の「越佐毎日新聞」に鴨水漁史というペンネームで寄稿し、東京専門学校(現、早稲田大学)政治科を首席で卒業、更に行政科卒業後、博文館に入社、就筆者・編集者として活躍、後に編集局長・取締役となった人物で、『大橋佐平翁伝』の著作などがある。 石黒忠悳とは、大橋佐平を通じて、因縁浅からず、大橋図書館(初代館長・石黒忠悳、現三康文化研究所附属三康図書館)の館長、日本図書館協会会長、東京市会議員などを務めた。 昭和24年(1949)3月24日没。

 
「一 况斎と号すわけ」

 人は感情の動物というて、事物境遇によりて頗る鋭敏の感情を起し易い。 此感情の為に制せられて、真理をあやまり、本道を履(ふ)み外すことが多い。 故に常に安心立命の地を見定めて、心を此に定め置かねばならぬ。 そうしないと高等官になりて、其日から家族に殿様と呼せたり、議員に当選したとか、社長になったとかいうと、一人引(人力車)にても軽すぎる程の小さき身体で、(昨日迄は浅草まで五銭というを四銭にまけろと辻人力車を値切って乗た人が、マニラの葉巻をくわえて)、二人引の鳥車夫に曳ぱらせるという大得意になり、一通の辞令が天降りて職を離れると、鬱々として楽まず、何も関係のなき家内眷属にまでツンツン当り散らすという大喪志を表すに至る。 况(況と同じ)や一身の真の大事に当り、真理に処し、道義を履(ふ)むと履まざるとの境遇に於ておや。 ウッカリすると間違うのだ。 神道でも、仏道でも、儒道でも、耶蘇教でも、此処が肝心の所だと思う。 耶蘇が磔柱の十字架に釘付されても、悲哀せず、孔仲尼(孔子のこと)が陳蔡の野で困しめられても、悠々として狼狽ずに居たのも、日蓮が龍の口で頸首(そっくび)を延ばして白刃を受けようとしたのも、皆心を安置する所が、定まりてあるからだ。 そこで、グラットストーンが八十を越しても、其信ずる所の政治方針の為には、老喉を鼓し声嗄るまで絶叫するも、ビスマルクが老眼を燈下に拭うて、新聞に自論を揚ぐるも、皆此信ずる所の主義の為だ。 さて此主義を立て通すには、安心立命の堅き地盤の上に安坐せねばだめだ。 地盤がぐらつくと主義のグラツク人があるが是を地震主義とでもいうだろう。 そこで固き地盤を見定て、其上に心魂を安置するのが、人間最第一の要計だ。 余十八才の時、岡本縫助殿という人に逢うた。 (岡本氏の事は後に又述ぶべし)、此先生の話の内に昔ましての翁という翁がありて、何事にも頓着しない、よき事がありて人来り慶すれば、曰く、是よりも尚およき事もあるべし、まして如此事をや慶するに足らずとて喜ばず、凶事ありて人来り弔すれば、曰く、是よりも尚凶き事もあるべし、ましてや如此事をや、憂うるに足らずとて、憂いず。 此ましてという字を漢字に直さばの字なりと、余此話をきゝ(其何書にあるか聞落せしは残念なり。 蓋し塞翁の馬作り替話なるべし)、大に面白く感じ、此翁固く安心立命の地に心を置く、故に幸不幸に大差なく、毀誉褒貶意に介するに足らざる也。 己れも安心立命の地を堅めてましての翁の真似をしようかと、因て此况(まして)の字を取て况斎と号さんとて、一日岡本氏に其事を話したりしに、氏笑て曰く、余亦此字を取り既に况斎と号せりとて、其蔵書目録况斎書目という本を示されたり、併し号などというものは、借用証文に書たり、公証人役場へ持出すものでもなし、いくら同じ人がありても差支なきものだから、其儘改めもせず、况斎と号するのだ。 漸く年齢を重ね、こうらを経て来て、近年は、斎をやめて翁をし、况翁と号す。 併し安心立命の地盤堅固にして果して昔のましての翁の如く参るか参らぬかは、死して後ならでは確とはならぬ。

 評曰(評して曰く)先生自ら安心立命の地に立ち古今の人を見るに一種の巨眼を具(ともな)う。 此編、初段時俗を罵倒し、中段古人の事を説き、末段自家の心地を述う。

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