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江戸後期、明治・大正期の文献・資料から興味あるものを電子化する試み
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「三 越後の晴雨計」

 吾故郷越後の昔話に曰く、昔年長岡在に六太夫という農夫あり、晴雨を卜すること神の如く、一も違うことはなし、郷党之を信じ、自らも亦信ずること篤し、此事長岡の城主牧野侯の聞く所となり、徴せられ士班に列せらる。 其秋侯の参勤(諸大名は参勤交代とて一年封国に在れば一年江戸に在る也)に随い東上して江戸に到る、主侯別邸に於て客を招て鴨狩の企あり、其前日晴雨を六太夫に卜せしめしに、報じて曰く、明日晴と、然るに何ぞ図んや当日大雨盆を傾くる如く、主客皆濡る。 此に於て主侯大に怒り、六太夫を罰せしむ、六太僅に死を宥(ゆる)されて笞(む)ち逐(おわ)れて郷に帰る。 郷人其失策せし所以(ゆえん)を問う、六太夫対(こたえ)て曰く、初め郷国に在て晴雨を卜するに、いつも弥彦山(越後の名山)に雲のかゝれる模様によりて卜せしに、江戸に至りて後ち屋に上りて四方を望むも弥彦山を見ること能(あた)わず。 因て止を得ずして富士山に雲のかゝれる模様を見て卜せしに、此の如き大失策を来せりと。 此話其信偽は分らねども、以て深く世人を警するに足る。 彼の弥彦山の雲を以て江戸の晴雨を卜さんとする者世間甚だ多きことなからんや。

 評曰(評して曰く)往日藩閥の最盛なるや、薩長土肥の藩人其藩に在るや僅に郡宰若くは里正なるも、出て朝に仕うるや、直ちに勅発の高きに任じ、大政に参し、計画する所往々当を失す。 郷国に在て僅に名を得たる者之を大都に出して、大事に当たらしめんとする輩頗る鑑むべきなり。

 「井の中の蛙、大海を知らず」ということであろうが、藩閥問題など当時の事情を考えると、少々評し難いテーマである。 思案して後、改めて書くことにしよう。

Best regards
梶谷恭巨

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梶谷恭巨
年齢:
76
性別:
男性
誕生日:
1947/05/18
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よろず相談家業
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読書
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