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江戸後期、明治・大正期の文献・資料から興味あるものを電子化する試み
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第九回

 夢野は話の面白さに頗る奇異の思を成し、ハーそうで御座いましたか、夫から貴君は、どうなさったナと問えば、清水は吸いさしたる煙草(シガレット)の短かくなったるを右の拇指と人差指にて摘んで手あぶりの灰の中に葬り、烟管をばハンケチーの端にて一寸ふいて煙草入の上に置き、ヘンと咳払し、サア先生、これからが肝腎の本文で御座る。 扨(サテ)右の試験で、僕は高等官の候補たるべきものと鑑定は附たが何れの官衙(ヤクショ)で僕を使用すると云う当も無に由て彼是見廻したるに、幸いなるかな僕の学友が当時某大臣の秘書官を勤め亡父の知己の者も其省では幅を利せて居るに付き、先ず此の縁を求むるに若かずと思い付き、漸々の事で大臣閣下に拝謁の栄を得たが、此侯(マルキース)は、(即ち大臣を云う)、是まで夜会で両三度お目に掛った事があるし極めて寛大(リベラル)の政治家ゆえ、先ず話は出来そうに成ったが、是に引替え次官の男爵(バロン)先生は判任十五年奏任十年勅任十年と鰻登りに登り、此省の事はおれが鵜嚥(ウノミ)じゃ、一寸見た計りでも此書付は誰の草稿で、写字生は誰だと云う事まで分ると、乙な処に自慢はすれど重大なる事件に出会へば、是と云う分別は出ず、其癖定規定例の細い事なら楊枝の尖(サキ)で重箱の隅を浚(サラ)おうと云う代物で、表(ウワ)べには徳義を飾って辺幅を修むれども、一皮はげば真の俗物で鼻もちならぬ人物サ、長官が使おうと思っても此の次官の眷属が省中に網を張って居るからには、迚(トテ)も一通りでは済込ことは出来がたい所を不思議なる仕合は巣鴨伯爵夫人(カウンテス)の弟染井と云う仁は七年前西洋留学中バワリアで大病に罹った時に、僕がベルリンから駆付けて凡(オヨソ)二月余りも昼夜看病して漸く全快した事があったのを大層に悦び、今度僕が奉職し度いと云う事を聞き、夫人が態々(ワザワザ)其弟の染井氏(今では某省の権威家(キレモノ)を僕の旅館(ホテル)に差向け、斯々(カクカク)の次第と聞かれ報酬の積りで大周旋、勿論かの夫人はソレニ彼の筋に関係はあるし、其上に伯爵(カウント)は御一新の御三家金紋先箱の藩閥と来て居るから、忽ちに周旋其功を奏し、重箱次官も委細承知の二つ返事で、清水潔に御用がる、○○省参事官に任ず、奏任四等に叙して上級俸を賜うと云う宣旨が天降って、昨日の書生は一足とびで高等官、マアえらい立身サ、尤も夫人の方へは直さまお礼に参上して、今般の儀は全く北の方の御蔭御恩は一生忘れませぬと厚くお礼を申述べて相済だが、相済まぬは学友知己、左までの尽力も無いに御礼の賜物は先方から御催促、それも仕方が無いとした所が同僚の懇親を結ばねばならぬとか、属官にも近づきに相成るべしとか、入らざる御注意で、或は水っぽいビールを飲で謟諛(テンユ、おもねりへつらうこと)の席上演説を並べたり、或は紅の輪廓(リンカク)を附たる蒲鉾に栗きんとんのお料理で調子ッぱずれの端唄を拝聴したり、揚句は詰らぬ議論から酒の上の攫(ツカ)み合い、婆芸者と其家の女房の取押えて仲裁とは成ったれど、此方(コッチ)が其夜の主人だけに、翌日は双方に行て首尾を取繕う始末、ソンナコンナで札は鵞毛(ガモウ)に似て飛だ散財し、人は薄情を見て後悔すと云う有り難い仕合、これが即ち清水潔の下界を離れて青雲の上に昇ったる時のこと。

 サア是から我も高等官なり、イザ学芸才能の程を事務の上に顕わして見んと、ごさんなれ腕によりを掛けて出頭し、萌黄羅紗で張たる大机を前に据え、小豆皮の大椅子に腰を掛け、右の方には硯箱、左の方には御用箱、サア来い御座れと一身の全力を集めて待て居れど何も来らず、午前九時より十時十五分までの間は広々たる参事官室の一間に只(タッ)た一人、双眼をパチクリパチクリして黙座したる体は質に取られた唖の如く、煙草も已に吸飽たれば、溜り溜った溜あくびは一度にアート出でにけり。 給仕の少年は次の間で、此欠(アクビ)を聞付け、敏捷にも手に二三枚の新聞を携えて机辺(キヘン)に来り、是だけ廻って来ました、日々新聞と時事新報はマダ検査掛の手許で、只今ボチボチ最中で御座りますと告て退いたり。 これは忝(カタジケ)ない、実は今朝出勤がけに毎日新聞の法律社説をチョット見た計りであったと云いながら、其新聞を見れば、ナル程、朱にて所々にポチポチと点を附たり、又は圏(マル)を施したり、或は行ごとに竪棒を引てありぬ。 イカニ検査掛が文章家なれぞとて新聞の文章に批評とは恐入ると思いながらよく見れば文章の評とも思われず、記事でも議論でも、其省の事務か又は其省の官吏に係った事柄だけに朱を附けたり。 コレハコレハ御丁寧の御注意、その中に「○○省の参事官清水潔氏は昨夜独逸学会に於てチュートニック人種の事に付き、一場の演説をなせり、但し此稿を印刷に附する迄は、未だ其演説を畢(オワ)らざりしに付き、筆記の概略は明日の紙上に譲る」とあり。 イヤ拙者が事なら是ほどの御注意には及びませぬと、独りで可笑がりしが、又おのれと己れに向い、アヽ潔よ、卿(オンミ)は憫(アワレ)むべき身になられたり、卿(オンミ)が一言一行は此の通り新聞に載るが最期、すぐにポチポチを附らるゝぞ、此ポチポチは卿の進退に関る標(シルシ)にて、若しも長官の蟲の居所が悪いと此ポチポチは卿が旨を諭さるゝ因由となるべきゾと、且つは弔らい、且つは慰め、少しあぢき無い心地せられたり。 稍々(ヤヤ)時も立ちて十時になれば、次官御昇省の知らせとして給仕は隅に掛けたる次官の札をクルリと前に向けたり。 直に総務局に至り、今日の御機嫌伺いは恐らく、此の清水潔が一番鎗(ヤリ)ならんと思いの外、局長やら書記官やら四五名は既に疾(ハヤ)くも、其御機嫌を伺い畢(オワ)りてありぬ。 次官男爵は大な手提の皮箱(カバン)を鍵にて明けながら、此方を向て、「フー清水か、ドウだナ」の一言を賜ったり、側から見れば此の一言は余程特別の優待と見えて、中には羨ましいと云う顔色をしたる人もありし、斯くて再び参事官室に戻って見れば、僕が同僚前輩の参事官二人ほど、只今しも出勤して各々其座に就き、・・・・・・・、「ヤアお早かった、僕は今朝早く大臣殿に伺候して、夫から某省に廻って来た、・・・・・・・、左様か、僕は出勤しようとする所に某議官が来て、議案の相談で今まで掛ったと忙しそうに書物の包を解たり用箱の蓋を明けたりして、罫紙に書て綴たる書類を幾通となく机の上に堆々(ウズタカ)く積み、一々これを覧(ミ)る様なれど、実は左までの事では無いと見えて、ズンズンと検印を押し、左の手に一纏にもって、僕に渡し、「サア清水君、これに小印を押し玉へ、尤も君に意見があるなら提出し玉え、だが大抵常例の事で已に僕が印を押したれば、君は別に見なくとも小印を押しさえすれば宜しい」と極々無造作なる御示し、然らばとてポケットより小印を出して押し初めたり、此の小印は奉職と極ったる時に中井敬所に誂えて拵えたる銅印にて、此印は苟(イヤシ)くも人民の休戚国家の利害に関するを以て、是を押すには最も注意せざる可からずと案じたるに、斯く訳も無いものとは思わざりき、他の一名の同僚は、僕を呼びて、「清水君、この一通は御注文だから異見を容るゝ可からず、此の願筋は少々おかしいが深き事情あり、敢て犯す可からず、是は今以て僕等の処に何たる沙汰も無ければ、暫らく留め置て様子を探るべし、其間は異議も云わず同意もせず、曖昧にして置くが肝腎なり」とて書類を渡し、「此外は異存があるなら陳(ノ)べ玉へ、無いなら無いで宜し、君の御都合次第」とて、ほうり出したるは中々事務に慣れたる手際なりき。

 前々回および前回の欠落部は、今回の出だしから推測して、清水潔の話であったようだ。 しかし、それにしてもとでも云おうか、福地桜痴が皮肉屋であることは、それなりに知っていても、或は、相当の誇張があるとは承知していても、明治政府がやっと起動に乗り始めた時期であることを考えると、些か疑問に思うやら、驚くやらとうのが実感。 『柏崎通信』に紹介した「参観報告書」に見える漱石の客観性からは想像し難い官界の状況。 確かに、維新も二世の段階になって、藩閥政治の弊害が顕著に現れ来たのではとは、推測されるのである。

 明治32年、外山正一博士の『藩閥之将来』という小論が、博文館から出版されている。 これは、大学・高等学校の出身者を統計的に分類し、藩閥の実態を紹介するとともに、その原因として教育を上げ、藩閥問題の解決には、教育格差を解消しなければならないとしている。 しかし、これにも疑問がある。 というのも、中等教育が、薩長土肥に偏していたかといえば、必ずしも、そうとは言えないのである。 特に、鹿児島では、西南戦争の影響があり、寧ろ中等教育の施設充実は遅れているのだ。 ただ、子弟の支援のための基金なり組織の点に於て、他よりも進んでいることは確かである。 この事から推測すれば、教育に対する県民意識の方が寧ろ重要なのかもしれないのだ。

 どうも明治という時代は、時期に依っても違うのだろうが、単に俯瞰的に捉えるのではなく、俯瞰者自身が時間軸に従って移動しなければならないというべきか、或は、現在の戦略・戦術偵察システムの如く、多点同時偵察と情報の有機的統合化による分析が必要な時代なのかもしれない。 というのも、以前から「ある旧制中学校長の足跡」の図式化を思案しているのだが、試行錯誤を繰り返すばかりで、これといった方法を見出せないでいるのだ。 例えば、データベースの図式化法を試みてみたが、リレーショナルが多次元に亘り、膨大になり過ぎて、とても図式化といえる代物には程遠いのである。 それに、UMLも然りである。 それではと、最もオーソドックスな年表形式でと試行すれど、文字情報の山になり、これも、誰もが一見して理解できる図式化とは言えないのである。

 とまあ、そんな訳で、「学際ネットワーク図」を想定していた甘さがあった。 結果、最初の関門である図式化に四苦八苦。 何かよい方法はないものだろうか。

Best regards
梶谷恭巨

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