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江戸後期、明治・大正期の文献・資料から興味あるものを電子化する試み
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『况翁閑話』(6)-悪る口の巧拙

 世の中に売らんとするには、成るべく激しく悪口を書くことが妙である、去りながら悪口にも上手下手ありて、巧みに悪口を言う者は、多言を費さずして急所に中り、言はれたる方にては甚だ痛く感ずれども、言い廻しの旨い為に怒ること能わず、唯だ空しく頭を掻いて苦笑するばかり、之に反して拙き悪口は、讒謗怒罵(ザンボウドバ)の限りを尽せども、徒らに他を怒らするのみにて他を困しむるの効は甚だ少ない、近来各社とも若手の記者には健筆家が多く、縦横無尽に弁難攻撃し、一歩も仮借せざるの意気込にて、筆鋒鋭利当る可らざるが如きも、惜い哉未だ世故に慣れず、故に攻撃の肯綮(コウケイ)を外れ、短刀を胸間に擬するの妙味を欠く、其所に至ると故成島柳北翁や、今にも福地桜痴翁等は流石は老練なるものなり、賞するが如く嘲けるが如き間に妙に人を愚弄し、紆余曲折に攻撃を加え、真綿で頸を締めて遁(ノガレ)るに道無らしむ、之を譬うるに、斉(ヒト)しく無心の請求にても、玄関より大声を発し、巨杖を握りて迫り来る壮士には、主人障子の中に在て、杯を持ちながら笑って聞き流すことが出来るが、之に反し、勝手口より猫撫声で、主人の在否を尋ね来る奴には、時として、南無三方彼奴来れるかと、忽ち眉を顰(ヒソ)むることあり、前の高声疾呼(コウセイシッコ)に対し、牛の角を蚊の刺す程にも感ぜざる者が、後の猫撫声をは畏るゝわけは、全く先方が求むるに其道を以てするの巧拙による次第にて、世の中の酸いも甘いも嘗め尽したる苦労人の価値は、斯う云う場合に見ゆるものだ、悪口の巧拙も之と同じである、畢竟鉄拳を頭上に加えたる後には、一寸真綿を其の臋下(デンカ、臀と同じ)に当てがい、声を励(ハゲ)しくして叱りたる後には、軽く掌を以て其の背を拊(ナ)ず、是れが擒縦殺活(キンショウサッカツ)の術にして、実に悪口の秘訣だ、此事は特に新聞雑誌の記事に於て然るのみならず、苦言を以て、一針を他の頂門に加え、怖れて怒る能わず、狎(ナ)れて侮る能わざらしむるの心得は、何人も世に処するに必要のことなるべし。

評曰、人を擒(トリコ)にするの術ありて、人に擒にせられざるの実あり、世人先生を擒にせんとするもも多きも、先生元来胸中此甲兵あり、世人之を擒獲し得ざる宜なる哉。

(注1)讒謗怒罵(ザンボウドバ): 讒謗[三国志魏志、王列伝、注]あしざまに言って人をそしること。 誹謗。 【讒謗律】1875年(明治8年)新聞紙条例と共に明治政府によって公布された言論規制法令。 自由民権運動の展開に伴い、政府への批判を規制するための条例で、著作類を用いて人を讒謗する者を罰した。 (岩波、広辞苑)
(注2)肯綮: 肯は骨についた肉、綮は筋肉の結合したところ。 牛などの肉を切り離すとき、刃物がここにあたればたくみに切り離せることから、転じて、物事の急所・要所をいう。 (広辞苑)
(注3)成島柳北(なるしまりゅうほく): 天保8年(1837)2月16日-明治17年(1884)11月30日、漢詩人、新聞記者、随筆家。 名は温、のちに惟弘(コレヒロ)、甲子太郎、のちに甲子麿と称した。 江戸浅草に生れた。 幕府の儒官成島稼堂の子、8歳で和歌集を著し、19歳で家督を継ぎ、祖父・成島東岳著『東照宮実記』500余巻の編集を監修し、父・稼堂の『後鑑』375巻の訂正を行う。 著書に『柳橋新誌』がある。 文久2年、風刺詩が忌諱に触れ閉門、この間、英学を学ぶ。 慶応元年、幕府の兵制改革行い、歩兵頭並に任じられ、禄千石を給せられた。 同年、騎兵頭、二千石に加増したが辞職、慶応4年、外国奉行、三千石加増、大隈守、会計副総裁、徳川慶喜の総裁辞任にと共に、隠居した(33歳)。 明治7年、「朝野新聞」社長。 (新潮社日本文学小辞典参照)
(注4)擒縦殺活(キンショウサッカツ): 捕えたり許したり、殺したり活かしたり、自在に操り扱うこと。 (広辞苑)
(注5)一針を他の頂門に加え: 頂門一針、(針は鍼とも書く)頭のいただきに刺した一本の針。 人の急所をおさえる、きびしいいましめのたとえ。 同義に、「頂門金椎」、「頂門鍼」 (大修館、漢語林)

 今回は、意外にストレートな問題。 悪口とは書かれているが、寧ろ「諧謔」ということが主題だろう。 常日頃、「諧謔」を心掛けるのだが、さて、文章にするとなると、これが中々難しい。 諧謔の達人チェスタートンの翻訳を試みたこともあるが、中断のまま。 福地桜痴は、同じ資料編に『もしや草紙』を掲載しているが、こちらは、原文の印字の劣化と字の細かさで、天眼鏡でも使わなければ読めない始末。 「諧謔」の本質あるいはその書き方など勉強する積もるが、それ以前の問題で四苦八苦の始末である。

 そう言えば、最近、腹の底から笑えるような文書にお目にかかっていない。 読方が足りないのか、あるいは、事実、そうした小説なり戯曲なりが少ないのか、なんだか寂しい思いもする。 昔、井上ひさしの『モッキンポット師の後始末』という小説を読んだことがあるが、これには、それこそ腹を抱えて笑ったもだ。 それに、青島幸男の『塞翁が万事、丙午』だったか、これも愉快な小説だった。

 明治時代には、意外と「諧謔文」が多いようだ。 江戸の諧謔文の流れを汲むのかもしれないが、時代が、「諧謔」を要求していたようにも思われる。 今のご時勢は、果して、どうだ。 お笑いタレントの全盛時代だが、今ひとつ、腹の底から笑えない。 ユーモア小説もあるのだろうが、とんとお目に掛っていない。 書けるものなら、そんな文章が書きたいものだ。

Best regards
梶谷恭巨

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