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江戸後期、明治・大正期の文献・資料から興味あるものを電子化する試み
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(21)初対面の秘訣、桑丘和尚の話

 余は十五六歳の時には已に一人立の志士として(今の壮士とは少し異なり)諸国を遊歴し文武先輩の門を叩き又は有志家に交りしが、其後越後にて桑丘和尚とて年齢五十前後の僧に交りしことあり。 此人中々豪膽(ゴウタン)の人にて、一杯傾けると誰にでも議論を仕掛け、随分人に怖れ嫌われる人なりしが、或時余に語て曰く、君は年齢に不似合に才膽あるが、此時世では幸に生きて居たら此先きに頗る多事なるべし、此に余が是迄数十年間実験せし世渡りの秘法数々ある内に於て初対面の秘訣を伝うべし、盥(テアラ、たらい)い嗽(クチスス)ぎて来るべしと、於此直に盥嗽(カンソウ)して教を乞いしに、和尚の曰、別儀にあらず、初対面の人には決して謙屈すべからず、頗る傲岸に構え他人(ヒト)を屁とも思わずして対すべし、十の七八は夫にて通るものなり、夫にて通らぬ時即ち己れより秀抜の士には、どうしても敗けねばならぬ、敗けるには一寸も一尺も同じ事だ。 一度試みて後に敗ても、決して晩(オソ)くないと、余此言を聞て心に以為(オモエラ、思うに)く年長者故に謹みて説を聞くものの、和尚の説粗暴虚喝(ソボウキョカツ)取るに足らず一杯喰わされたりと、然るに其後四方に周流し幾多の人に逢いしが、時には和尚の此言を応用し、実効を得たることなきにしもあらざるも、其為に大失敗を来せし事亦多し、詰りは傲岸自尊して、後に謝するの敗を取るよりも、どこ迄も謙遜して下の方から他(ヒト)の人相を熟観し、此人彌(イヨイヨ)我が下た手だなと鑑定を遂げたる後に、漸(ヨウヤ)く自尊を表するも決して晩(オソ)からざる也、併し今の世上には、若し桑丘和尚をして生きて在らしめば、和尚の衣鉢を伝え、否出藍の人多しとて悦(ヨロコ)ばるべき輩も少なからず、和尚今何所に在るか、もはや此世には居らざるべし。

 評曰、和尚対面に傲岸高慢にして、次回より謙譲なる人、今世に多し桑丘和尚の宗派、今世に盛なるものか。

 十五六歳頃と云えば、石黒忠悳が、信州中之条から江戸に登る途中、勤皇の志士・大島信夫と逢い、共感して、そのまま京都に行った年であり、翌年、万延元年(1860)に片貝村の石黒家の家督を相続した頃である。 その後とあるから何時の事になるのか不明だが、『懐旧九十年』に出てくる寺といえば、母を葬った石黒家の檀家寺・池津の真福寺しかなく、桑丘和尚は、その住職であったのではないかと推測するのだが、その後の経歴からも、断定する資料が見当たらない。 そこで、池津の真福寺に問合せし、現住職と話したのだが、矢張り確証は得られなかった。 

 ただこの話、石黒忠悳自身が、少年期より独立不羈の人であり、諧謔を好む傾向があることから推測すると、評者が謂うのとは異なり、况翁は必ずしも不評として、このエピソードを揚げたのではないとも思われる。 例えば、佐久間象山を訪ねた場面には、むしろ、人を人とも思わぬ、当に傲岸不遜の風が見えなくも無い。 何しろ、これはと思うことは、何でもやって見るのが、石栗忠悳の真骨頂とも言えるのである。

 第一、この文章を読んで、桑丘和尚の話から初対面の秘訣を語っているようには思えないのである。 どうも、石黒忠悳の話には、その裏の裏まで考える必要があるのではないか。 兎に角、文中にあるように、石黒家を相続した早々に、石黒家の故地である池津に新居を建て(長岡の神官の家を購入し、移築改造している。 因みに、当時の物価の参考として、その費用は98両余りと書いている。)、私塾を開き、近隣の交流も盛んにし、更に各地の志士たちの溜り場の感を呈するほど交流の範囲が広がり、関矢孫左兵衛と勤皇論を掲げて越後各地を周遊し、翌年には妻を娶り、会津藩から指名手配され、翌々年に佐久間象山を訪ねているのである。 僅か二三年の間の事なのだが、この騒々しさは尋常ではない。 しかも、天職とも言うべき医学を志すのは、元治元年(1864)20歳の時なのである。

 維新の前夜から昭和16年の逝去まで、97年間、これ程の歴史的証人を他に見ることは出来ない。 因みに、日中戦争が始まるのは昭和14年である。 浅学、况翁の真意を知ろうと模索するが、儘にならない。 しかし、况翁の足跡を時間軸に置くこと、江戸末期から昭和初期までの歴史の別な側面が浮かび上がってくるのではないかと、(遅々として進まないが)、『况翁閑話』のデジタル化を進める次第である。 拙文、ご容赦。

Best regards
梶谷恭巨

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1947/05/18
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