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江戸後期、明治・大正期の文献・資料から興味あるものを電子化する試み
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(20)-己の規矩に合ぬものなりとて排斥すべからず、時としては神籤も必要なり

 壮時には自身が学びたる学問の規矩に合ざる事をば、一切虚妄取るに足らずとして駁撃(バクゲキ)したが、追々齢(ヨワイ)を重ぬるに従て其非なるを悟り、人間界の事は左様狭隘(セマ)きものではない、僅に二十年や二十五年学びたる、己の狭き学問の規矩に合ないからとて、それは虚妄だという速了の断定を下す可きものでないという事が分明(ワカ)った、若し地を換て譬うれば、我輩は化学というものを学びたればこそ、水素という瓦斯(ガス)と酸素という瓦斯が化合すれば、水という滴状物を化成することを信ずれども、若し化学を学ばざる人に如此ことを説きたりとて、決して信ずべくもあらざる也、それと同じことにて、我々が学ばざる学問の事に付て、他人の主張する事を我が学問の範囲に収め、我学問の規矩に合せ当てんとするとも、合ず当らざるは勿論なり、然るに之を概して虚なり妄なりとて、撃毀排斥するは無理なりと謂うべきか、人間に害にならぬ以上は、虚妄らしき事とても其儘にさい置て然るべし、故に余は神仏祈祷、占断、方位は勿論、狐でも犬神でも狸でも天狗でも、皆な我は信ぜねども必ず虚妄なりとも断定せず、又知人の之を信ずる輩には、差当り害なき已上(以上)は、其信ずるに任せて之を排撃せざる也、又之を信ぜずとも之を利用して頗る便利なることもなきにあらず、近き其一例は東京古来の男女縁談の事など、媒酌人ありて双方互に聞糺(コンキュウ)し、此上は見合にて決定する場合に至り、双方初めて見合し後ちどちらか一方にて、嫌になり断るという時に、まさか醜からやめるとも謂い難し、甚だ辞柄(ジヘイ)に窮するなり、夫(ソレ)故に通常媒酌の通語に、此上は御互に御見合をなされ、双方にて御容子(暗に容貌を斥(サ)すなり)御心も知れたる上は御一大事のこと故に、御神籤でも御取被成(オトリナサレ)て御決定被成可然(成されて然るべし)と、双方へ申入れて、そこで初めて彌(イヨイヨ)見合となるなり、故に其一方にて嫌いたる時は其者より当方でも何も障(サワ)りなく、誠に良好の縁と存ずれども、御籤宜しからずとて、親類の老人(老人の入る川は此時位のものか)が何分安心致さぬ故に、誠に遺憾至極なれども、御断申すと述ぶれば、双方ともに寸毫のきずなく、断るもとを得るなり、夫を半開花の先生方が、媒酌に入りて此御籤判断がいるものかとて、中途に至り断るに辞柄なく、進退き谷(キワ)まりたる近例あるなり。

 評曰、無用の用、此に外ならず、古来建国の英主、或は宗教を敬崇し、或は神仏を篤信す、皆故なきにあらざるなり。

 好々爺然とした石黒忠悳の姿が思い浮かぶのだが、『况翁閑話』の掲載の当初から、今ひとつピンとこないものがある。 このシリーズも、未だ半ばに至らないのであるから、短絡に評することは出来ないのだが、彼の経歴から推測する医師として軍医として、あるいは学者としての人物像との間に何かしら乖離を感じるのだ。 もっとも、その変化を確認するほど、調べていないのも事実なのだが。

 ところで、この文章及、坪谷善四郎が聞き書きし、評を加えたものと思われる。 そこで、気になるのが、坪谷善四郎が書いた事が明白である「緒言」の事だ。 『况翁閑話』の緒言を省略しているのだが、矢張り「緒言」も掲載する必要があると考え、次回に、それを掲載する。

 尚、「乖離感」については、追々、その原因を探って行きたい。

Best regards
梶谷恭巨


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