江戸後期、明治・大正期の文献・資料から興味あるものを電子化する試み
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 『况翁閑話』(16)-能を取て不能を捨てよ 人々皆な皆な見る眼が別々だから、人を見ても其所感が異なるは当然じ。 余は中年には随分悪を憎むこと甚だしく、例えば書画に於ても、趙子昂は書はいかにも上下五百年に無き能書なれども、其気節に至りては実に柔且卑にして、たとえ其書は能美なるも、机上に置き壁に揚げて賞すべきにあらず、岳飛の書たる固より能と称するに足らず、又則(ノット)る可からざれども、其気節凛烈(リンレツ、凛冽)情夫を起たしむにるに足る。 其書の如き啻(タダ)に壁に揚ぐる而巳(ノミ)ならず、香を焚き花を供して恭しく啓すべしだ、という持論なりしも、段々世故慣れ事に当りて是等の説は所謂偏屈論にして、書を賞するに當ては、たとえ其気節はなくも、書能ならば愛すべし。 其気節の高下を以て其余技たる書を品すべきにあらず。 又人を使うにも、彼人は学術に秀抜なるも、其心術が不充分なる故に云々との事に至りても、元来人物をではなく其技術を応用するというに方(カタヨ)りては、其心術如何の為に之を捨るということはなさざることに到したり、若し気節高烈にして其書美なると、学術深重にして心術方正なるものあらば、無論完備と称すべきなれども、世間如此者殆どなきなり、寧ろ書を撰む時には重きを書に置き、学術を擇(エラ)ぶ時には学術に重きを置くべく、果せるかな近年は学術に優れ高尚なる学位を有する人にても、往々心術気節に至りては実に感伏し能(アタ)わざる人もままありて、若し其心術気節より論ずれば、共に歯(ヨワイ)するを耻(ハ)づべき輩あり、故に此澆季(ギョウキ、人情が薄くなり、風俗が乱れた末世)の世には、偏屈論は止めねばならぬ。 評曰、先生甞(カッ)て陸軍其他内務文部等の局に当る、いつも其従来の人を用いて新に自ら知る人を入れず、而して事務活動し處辨(ショベン、処弁、処置すること)流るる如し、宜なるかな、濶大(カツダイ、広く大きなこと)の見を具して人を使う。 (注)趙子昂: 趙孟頫(Zhào Mèngfǔ、ちょう もうふ、1254年(宝祐2年) - 1322年(至治2年))は、南宋から元にかけての政治家、文人(書家、画家)。字は子昂、号は松雪、呉興(浙江省湖州)の出身。出自は、宋の宗室。 (ウィキペディア) PR |
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梶谷恭巨
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1947/05/18
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