江戸後期、明治・大正期の文献・資料から興味あるものを電子化する試み
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 第六回 (注1)スモーキンルーム: 喫煙室 斯くて清水は鬱々として楽まず。 其身を処するの方向に屈託し、其後は余り外出もせざりしが、ある日、銀座あたりを遊歩したるに、一書肆(しょし)の店に処世真理と題したる一小冊の招牌(びら)を見、その書は如何(いくら)だと其値を問えば、定価は五十銭、お負申して四十銭、よろしい一冊買いましょう、四十銭で処世の真理が分り、是から先き四十年、生きれば一年が一銭とは安いもの、併し五分の利息を半年前に元金に加えて勘定したら幾許(いくら)になるであろうと詰らぬ事を考えながら其書を携えて旅館に帰り、四十銭の真理はどんな真理ならんと表紙を押し開いて四五葉読み下し、ハヽー此の先生は、韓図(カント)の流派を酌み、傍ら倍因(ページ)の糟粕(そうはく)を嘗むる哲学家と見えるナ、ヘン、こんな僻説(へきせつ)は感心が出来ぬ、・・・・・・・・ナル程これは御尤(ごもっとも)だと独り語して、評しては読み、読みては評したるが、去るにしても此論未だ以て処世の真理と名つくるの価値なしと雖(いえ)ども自(おのずか)ら一見識の凡庸に超出するものあるぞ、心憎き著者は誰やらん。 表題には烏有仙史とあれども、其実名知らまほしと巻末を見れば、著作者は、東京府平民、夢野実(まこと)とは記名して其宿所までも明細に記(しる)してありぬ。 扨(さて)は夢野の著述であったか、夢野は二十年前、高等中学にて師兄の礼を以て交りを結びし先輩、其後、西洋で遭った時には、頻(しきり)に哲学を修めて居られたが、程なく日本に帰りしと聞き、其後の様子を知らざりしに、今は哲学家に成って、真理を講じて居ると見えるナ、且つ著述の言論では奉職在官でも無い様だが、己れの楽みとする所にて、純粋の生活を成とは羨しい事である。 殊に此の夢野は我に比ぶれば十ばかり年長(としおさ)なれば、学問実験ともに我に優れ、日本社会の研究は最も行届いて居るであろう。 明なば早速に音信(おとずれ)て教を受け、処世の相談をも成して見んと、俄に飛立つ如き思を做(な)し夜の明くるを俟(まっ)て、平素に無き早起をして朝餐(あさめし)ソコソコに調(したた)め旅館を出で小梅の里なる夢野が許にと趣きたり。 (注1)韓図(カント)の流派: イマニュエル・カントドイツ観念論哲学派。 小梅の里と云えば、意気な所の様なれど、同じ小梅でもグッと引舟の通に寄っては、買物は不自由なり、出入りは悪し、別荘でも建て偶(たま)に往けば、格別のお金があるなら、先ず常住にはせぬ方なり。 夫を承知で此所(ここ)に寓居を卜(ぼく)したる夢野実は、所謂風流でもなく、洒落でも無く、詮方なしの詫住居なるべし。 ソウとは知らず清水は、夢野が住居は大廈高堂には非ざるべきも、柴門(さいもん)深く扃(とざ、かんぬき)して大樹屋(だいじゅおく)を蔽い風塵を謝絶して清閑を独占つるの家なるべしと思い、其番地を捜したれど、是が夢野の閑居と覚しき所も無し。 漸々(ようよう)の事にて、荒ものと駄菓子を商える家の老婆に問えば、夢野さんかね、ソレ、向うに見ゆる竹の垣根について右に廻ると小さな橋が御座います。 其橋を渡って左の横町に入ると角から二軒目が夢野さんですと教えられ、尋ね当って見れば、表の囲は建仁寺の毀(こ)われたるを縄にて古板を縛って補い、門とは仮の名、まことは傾いたる柱に雨戸を一枚釣りたるを片折戸にし其柱から筋違(すじかえ)に庭の柿の木の股に物干竿を渡し、只今もし傭(やとい)の老婆が洗濯せしと見えて、いかがの品を乾し、出入の邪魔になるも更に頓着せざるか如し。 清水は、まさかに此家では有るまいと思えども、論より証拠は門柱(かどばしら)に打ったる表札年数の風雨に晒されて、板は自然の洗い出しと成ったれど、墨で書きたる所だけは自から凸(たか)く成って夢野実の三字はアリアリと現われてありぬ。 (注1)意気: 粋の意味 以上、第六回終了 この『もしや草紙』が発刊された明治21年(1888年)という年は、国会の開設・憲法の制定など近代立憲君主国家成立への胎動が始まった時期に当る。 参議制が廃され枢密院が開設された。 また、清国との戦争を想定した軍制改革が始まるのもこの時期である。 亦、新潟県(柏崎・長岡)に関係深い日本石油会社が設立されたのも、この年の5月10日だった。 Best regards PR |
カウンター
カレンダー
フリーエリア
最新コメント
最新記事
(04/15)
(01/29)
(01/26)
(01/20)
(01/14)
最新トラックバック
プロフィール
HN:
梶谷恭巨
年齢:
77
性別:
男性
誕生日:
1947/05/18
職業:
よろず相談家業
趣味:
読書
ブログ内検索
最古記事
(04/08)
(04/08)
(04/08)
(04/09)
(04/10) |