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江戸後期、明治・大正期の文献・資料から興味あるものを電子化する試み
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第四回

9a490c38.jpg なる程、世の中は分らぬものでは有る。 古人も飛鳥川の淵瀬の定め無き(徒然草第25段)に喩たるが、実は其通じゃ。 栄枯その地を変るに従って、其人の心も亦境界に由て変るは、是れ当然のを、余(われ)豈(あ)に独り郡樫蔵を異(あやし)むに及ばんや。 畢竟(ひっきょう)我父の旧誼とか旧恩とか云って、父が曾(かっ)て施したる徳義上の恩義をば恰(あたか)も其子に伝わるものゝ様に思って、報酬の義務は彼人(かのひと)が負担すべきものゝ如くに、心得恃(たの)むべからざるを恃(たの)んだは、我が料見(りょうけん)違いであったよな。 其にしても我が心事をば浮(うか)と郡に物語りたる事の口惜しさよ。 アヽ是が我身に取て善い経歴じゃ。 よく考えて見れば十五年前(ぜん)日本を出た時には、マダ二十(はたち)に足らぬ若もので、言わば丸で日本の事情を知らざる小二歳(こにさい)同前(ぜん)。 それから今日まで十五ヵ年の間は難行苦労に随分世故(せこ)を経たる様なれど、是も西洋の事情にこそ通じたれ、日本はまた日本で格別の事情あるは当然。 いかに日本が政治制度文物社交みな表面(うわべ)は西洋風になったればとて、内部の人情風俗まで西洋に成り切た訳でも無から、ソレデ是からは外国より初めて日本に来た積(つもり)になって、先ず日本の社会を実地に研究し飽まで其事情に通じた上で、徐々(そのそろ)と身を処する計(はかりごと)を立つべしと、清水は心附きたれば、是よりして日本橋の旅館(ホテル)をば暫しは己れが旅寓と定め、学友同年旧知の人々が東京に在るものを尋訪(おとずれ)たり。 其中には、曾(かっ)て東京高等中学にて蛍雪の苦学を倶(とも)にしたるものあり。 又英国独逸仏国の諸邦にて友垣(ともがき)を結びたるものあり。 又その昔菜種(なたね)の二葉より生立ちて竹馬の遊びを倶にし、其後も同じ尋常小学校に入(にゅ)し、ヤレ卿(たまえ)の学校の読本は東京府か、僕(わたし)の学校は文部省だ、僕の方が読本は優等だと教師も仰しゃったれば、僕の学校にお入りよと勧むれぞ、ナンの東京府の方が上等だと教育家の先生が判断ゆえ、僕の方が善いよと言い争いたるものもありて、何れも純粋の心もて交りたる人々なるに十五年を経たる今日に至って此人々を尋ね見れば、或は高等官に昇進し、学術は左までとは思わねど、如才なき取廻しに長官の受も善く、一省に時めきて権威を振える官員となれるもあり。 或は財産も知識も十分には無けれども何(いか)なる由縁(ゆかり)ありてか、東京の議員に選ばれ今では下院の座席を占め、将来の首領(リーダー)は乃公(ないこう)を置て誰(た)ぞやと、空頼(からだの)めに鼻尖(はなさき)を高々とせる議員もあり。 或は算盤よりは掛引き、地道な事では金儲けの出来ぬ世の中、智恵を振って考えたる工夫は常(いつ)も間に合わぬ。 唯々早耳に若(し)くは無し。 是れ見給えやと言わぬ計りで立振舞い、内幕はどうか知らねど会社の創立組合の発起に名を知られたる紳商となれるもあり。 或は職を武官に奉じて天(あっ)ぱれ皇国(みくに)の干城(かんじょう)なりと意気揚々たるもあり。 或は新聞の主筆となって政治の得失を紙上に判断するもあり。 或は代言人となって権義の有無を法廷に弁論するもあり。 或は舞踏の熟練と婦人の接待は此人に限る欧州の本塲仕込だけ格別なりと持囃(もてはや)さるゝ縉紳(しんしん)もあれば、或は彼漢(あのおとこ)の説はいつも迂遠で物の役に立たぬ、お負に不人相な面附が気に喰ぬと可惜(あたら)器量を有(もち)ながら社交に擯斥(ひんせき)せられて鬱々たるもあり。 其境界の区々(まちまち)なる千差万別、ハテ扨(さ)て人間の生涯は耳朶次第、げにや牡丹餅は棚にあり、成敗(かちまけ)は運に在り、阿呆は働け果報は寝て待てと云うがそうかも知れぬ。 コリャ理屈通りには参らぬぞ。 是につけても思い出した事がある。 ライプシヒの大学を辞したる時に、先生(プロフェッソル)が、「清水君ヨ、君は既に修学の期を卒(お)えたり。 日本に帰りなば実地研究の期に入るべし。 其期の苦難は更に修学より一層の苦難を覚ゆべし。 修学せる所を挙げて其身を社会の奴隷となすも又これを利用して社会の先導者たるも、此の研究の如何に関するものぞと知り給え。 君よく此語を記憶せよ。 他日、君が老境に臨み後悔の期に入る時に当り必らず思い当るべし」と哲学上の予言を勿体らしく授けられたるは、即ち今日の事であろう。 いでいで是からは大日本帝国東京の都市(まち)に於て社会の実地研究に尽力いたさんが、夫にしては社会に入り交(まじわ)るが第一の肝要。 少々ぐらい気に入らぬ連中にも附合て見ずば成るまいと、清水は心を定めて流行の社会に入(いり)たるが、其骨の折れる事は一通りにあらず。 葉巻煙草(シガル)に紙巻煙草(シガレット)は否(いや)でも喫(すわ)ねばならず。 西洋骨牌(せいようかるた)のウィストが表座敷で花骨牌(はなかるた)のヨロシイが奥座敷、これが出来ねば懇親が結ばれず。 尤も西洋留学中に少々は覚て来たれば、先ず差支は無し。 殊に舞蹈(ぶとう)ピアノ唱歌乃至お寺の賛美歌、これは拙者が本塲で御座る。 ナニ君たちのは十年前の流行で、今日は瑞典(スウェーデン)の木曾の奥葡萄牙(ポルトガル)の外が濱でも、モウ廃って誰もやり手は無い。 只今の流行は、これ此の通りと幅を利(きか)する事も出来るが、甲(コウ、きのえ)の仲間に交れば、我もそのかみは上界の諸仙たるが、往昔のちなみありて、仮に人間に生れきて、楊家の深窓(楊貴妃に喩えて)に養われ未だ知る人なかりしになどと、調子に乗らぬ道魔声(どうまごえ)を出して、唐人の寝言を日本語で謡(うた)い、其為には梅若(能の観世流梅若家)や宝生(能の宝生流)に弟子入りをせねば相成らざる苦みあり。 乙(オツ、きのと)の連中に交れば、お炭拝見、なる程感服でげす。 是が遠州名物の井戸でげすか、イヤ定家の歌切は恐入てゲズと、狭い数奇屋に四五人も詰込んで、穢(きたな)い茶碗で苦い茶を飲み、主の前では無闇にお世事を並べ、其家(そこ)を出れば無闇に荒(あら)を言わねばならぬ苦(くるし)み。 丙(ヘイ、ひのえ)は、解らぬ癖に骨董をひねくって、是が美術の詮鑿(せんさく)に必要なり、我朝に希臘(ギリシャ)風の彫刻既に千有余載(さい)の前に伝わったると、此仏像の鼻柱が折れたる所にて、其証判然たりなどと評せねば成らぬ苦み。 丁(テイ、ひのと)は、相撲に大達(おおだて、明治に活躍した大関・大達羽左衛門、現在の山形県鶴岡市出身)の力と剣山(つるぎさん、明治に活躍した二代目大関剣山谷右衛門)の技とは、孰(いずれ)が優れると評し、果ては座敷の真中で座角力(すわりずもう)や腕押の力自慢。 戊(ボ、つちのえ)は、団十郎の活歴は菊五郎の時好に匹敵して如何と論じ。 己(キ、つちのと)は、端唄都々逸一(いつ)は酒席に欠べからず。 我輩をして愉快を感ぜしむるものは、わしが国さで見せたいものは、むかしや谷風いま伊達もよう、ゆかしなつかし宮城野信夫(浄瑠璃「碁太平記白石噺(ごたいへいきしろいしばなし)」の通称)と来ちゃ、たまらぬたまらぬと云えば、庚(コウ、かのえ)は、彼れ田舎漢(でんしゃかん)いまだ高尚の妙を知らず。 酒は、香の物に乾物、低い調子で恋せずば、玉の杯と語るの風流なるを会得せぬには困る。 いかに野暮でも山崎や賎機(しづはた)の面白い所は分りそうなものにと澄し。 辛(シン、かのと)は、寄れば障れば相塲の相談。 君あの郵船を蹈(ふん)だが惜い事をした、今度は増株(ましかぶ)が内々極ったら何でも鉄道でウンと儲けようでは無いかと、濡手(ぬれて)で粟を握(つか)もうと云う、正直ものゝ軍議。 壬(ジン、みずのえ)は、ヨシ玉え政治論は野暮すぎる。 大抵にして今夕(こんせき)は例の宿坊に赴こう。 彼的(かのてき)の音曲は拙(つたな)いが嬋妍(せんけん、ほっそりと美しい)たる容顔(ようがん)一点の申分なしだ。 ソレが僕に少し来て居る様だ。 サアサア出張々々と自分極めの色男揃い。 癸(キ、みずのと)は、いかなる劫か丁々と四丁に掛って延引(のっぴき)ならず。 堰にせかれて生死の苦しみするのが面白いと忙しい日を唖の合戦に潰さねば成らぬ苦み。 是ではナンボ修行でも体が続かねば、根も竭(つき)る。 入用損の日間(ひま)っぶし。 コイツ一工夫せねば堪(たま)らぬと、さすがの清水も茫然として方向(ほうがく)を失いたる如くなりしが・・・・・・・・・・アー日本の社交は六ケしい(むつかしい)六ケしい。 倫敦(ロンドン)のソサヤチーの方が余程楽だ。

 今回は、思わぬ苦労。 まさか十干箇条書きで状況説明とは。 当時の人であれば、あるいは、その界に多少の知識でもあれば、受ける印象も違うのかもしれない。 何と言っても、福地桜痴大先生の文章である。 こう云う書き方もあるのかと、呆れるやら感心するやら。 しかし、テンポがある。 リズムがある。 これも比較は出来ないが、ヘンリー・ミラーのテレグラム・センテンス的印象のちらほら。 諧謔のジャーナリスト、やっぱり、ミラーではなく、チェスタートンか。

Best regards
梶谷恭巨

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